「学校に行かなくてもいい」は本当に大丈夫!?

フェイスブックが主な情報源だから、どこまで信憑性があるかわかりません。

ここ最近「学校に行かなくてもいい」という記事をよく見ます。

それはかつて学校によってイヤな想いをした人が、大人になって声を上げたものが多いです。

内容を見ると、よくわかります。納得もできます。

僕でさえ現役教師のくせに、ときには「学校なんてなくてもいい」と思うときがあります。

テスト、成績、無駄なプリント、こんなものがあるから教師も子どもも苦しむんだ、と思うときもあります。

しかし、「学校に行かない」子どもたちがどういう生活を過ごしているか、その現実を見ると、軽々しくメディアで美談にしてほしくないという想いがあります。

外にも出ずに、ひたすらゲームやYouTubeにのめり込む子、制限なくお菓子を食べて、ぶくぶくに太っていく子、そんな子を見てきました。もちろん、すべての子じゃないですよ。でもこんな子がいたのも事実です。

確かにその子自身の鋼鉄のような意志と、家庭での相当な教育力があれば、学校に行かなくても大丈夫でしょう。もはや世の中はコミュニケーションがなくてもできる仕事は増えましたから。多分、本気になれば相当な収入も得られます。同じような境遇の異彩な天才たちと将来交流できるかもしれません。

しかし、そんな家庭はほんの一握りです。実際は困って、忙しくて、という、そんな家庭が多いのではないでしょうか。

僕は「学校に行かなくてもいい」という考えには賛成も反対もありません。どちらでもいいです。1番大切なことはその子のためになればいいのです。

しかし、「学校に行かなくてもいい」ということを美談にしてメディアが発信すること。そして、その内容に対して、「そうだそうだ!」と囃し立てることは大嫌いです。腹が立ちます。プンプンです。

自分の考えを強化するための記事を見つけ、見つけた途端、その記事を武器に(オカズに)(ネタに)攻撃しまくる。あぁなんて卑しいんだろう、と思います。百歩譲って「美談」はまだいいです。どこかの誰かが本当に苦しいときの「学校に行かない理由」を後押ししてくれるからね。でも、周りが囃し立てることは本当に嫌だ〜!

これからこんな記事がどんどん増えていくんだろうよ。

表現の自由や多様性が生まれるのはいいけど、メディアによって自分や自分に関わる人が苦しむのはヤダ。

 

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