一般化の魔力〜運動会全校練習を通して〜
「5年生、急げ!」
グランドに大きな声が響く。
今日は運動会全校練習の日。運動会本番に向けて、先生たちも力が入る。
全校練習開始は8:30。
児童の登校は8:15。
15分間で、児童は体操着の着替えと出席確認を済ます。
けっこうタイトな時間だ。システムにも問題がある。
しかし、この開始時間の提案は以前の職員会議ですでに出ていた。
意見を申すなら、その時なのだ。
見落としていた我々が悪い。
あぁ、人のせいにしてはいけない。
我々というより何より自分が悪い。反省。
はじめての全校練習というのもあったのだろう、開始時刻は守れなかった。特に5年生が遅かった。
練習開始直前、5年生は冒頭の言葉をくらった。
職員室でも話題になった。
2重のダメージ。
クリティカル・ヒット!
そして、残念なことに5年生担任は…
僕なのでした…(けっこうショック!)
ここからは愚痴と言い訳、でも大切な想いも伝えたい
まず、愚痴と言い訳。
その1
5年生の教室は三階で、昇降口もグランドから1番遠い。
もしすべての学年が同時に教室を出たら、1番遅くなるのが5年生である。
立地的には絶対的に不利。
その2
今年の運動会は赤・白・青の三色。
1,2,3,4,6年は3クラスで、1クラスが1色を受け持つ。
しかし、5年生だけが2クラスなのだ!(おもしろいでしょ!?)だから、2クラス混ぜまぜで3色を割り振る。つまり、僕のクラスには赤組と白組と青組が混在しているのだ! また担当する組には他クラスの児童も混ざっている。
このことによる1番の困ったことは、他の学年は各色に担任が1人ずつ配置できるのに、5年生だけはどうしても1色だけ担任がつけない、ということになるのだ。何をするにも先生が1人いる・いない差は思いの外、大きい。
その3
肝心な2人の担任が、リレー担当と応援団担当でお互い朝練がある。もちろん、朝練を効率よく終えればいいのだが、万事完璧なスケジュールで回せるわけではない。朝練の片付け等をやっている間に、登校のチャイムがなり、子どもに伝える指示が遅れてしまう。
その4
2クラスということは1クラスの人数が多い。たとえ、30人がきちんと時間内に並べたとして、30人クラスならパーフェクトだし、40人クラスなら10人脱落ということになる。5年生は後者の立場だ。
以上、こんな不利な状況があるんでぃ!というロジックを並べてみたが、
はい、ゴメンなさい。
すべて愚痴と言い訳です!
開始時間に関しては、みんなが大変だとわかっていたのです。
また、5年生がキツイ状況だということもみんな理解しているのです。
だから、5年生が遅れてしまうこと自体は、本当はダメだけど百歩譲ってまだ許せるのです。
でも、みんなが集まっている中で、急ぐこともなく、ダラダラ歩いていたのがいけないのです
3階の教室からグランドに向かっている最中、この姿は僕も見ました。
僕のクラスの子もいます。
叱られるのも当然です。
僕が逆の立場でもそうします。
むしろ、叱ってくれた先生に感謝したいぐらいです。
(こんな状況でありながら、そのとき僕は別件があって指導ができなかったのです)
これは指導力不足です。
悔しい…
「一般化」の魔力はおそろしい…
それでも言わせてください。
やはり「一般化」の力はすごく、僕たちは知らず知らず飲み込まれてしまっているのです。
ちなみに「一般化」とは、「様々な事物に共通する性質を抽象し、一つの概念にまとめること。(goo辞書)」です。
例えば、テレビのイメージだけで「日本人は◯◯だ!」「アメリカ人は◯◯だ!」「中国人は◯◯だ!」と決めつけてしまうことはないでしょうか?
僕たちが知っている人間なんて、世界のほんの一部でしかないくせに、少しの情報ですべてを知ったかぶりしてしまうのです。
「先生は世間知らずだ!」という意見もそうですね。
先生なんて世界中に何万人もいるのに、そんなのあなたの狭い世界の印象でしょ?とツッコみたくなります。
これらが「一般化」の魔力というやつです。もちろん、僕も魔法にかかっています。あなたもきっと…笑
さて、一般化の魔力が全校練習がどう結びついているのかというと、
「5年生、急げ!」
という声そのものなのです。
担任の指導力不足があったにも関わらず、何人かの5年生はすばやく行動し、きちんと開始時間前に並んでいたのです。
しかし、それでも数名のタラタラ遅れてくる同学年のために、
「5年生」は遅い!
というレッテルを自分たちも貼られてしまうのです。
こんなことよくありませんか?
振り返ると僕はよくやっています。
「まったく男子は!」という指導とか。(いやいやちゃんとやってた男子もいたって。逆にちゃんとやってなかった女子もいたじゃん)
「教室掃除ちゃんとやりなさい!」という指導とか。(あそこに黙々とゴミを履いている人もいたじゃん!)
というふうに、「一般化」の魔力に染まった指導を僕らはやっていないだろうか?ということを何よりもこのとき学んだのです。
連帯責任という言葉もあり、時には「友だちなら周りの仲間にも注意しないとダメでしょう!」という指導も必要かもしれません。
しかし、この指導のやりすぎは絶対禁物だと思います。
僕の感覚ですが、この指導はやりすぎると児童からの信頼を失いそうな気もします。
だから、指導の基本はしっかり「切り離す」のが大切だと思います。
先程の件ならば、
「5年生の多くはきちんと並べていました。でも、遅れてもダラダラ行動している人もいました。残念です」
とか。
そもそも、「5年生」という言葉を使わずに、
「君たち、急げ!」
で、よかったのかもしれません。
(ちなみに、注意をしてくれた先生の指導にケチをつけるわけでは断じてありません。本来、僕がしなければならない指導をこの先生がやってくれたのです。申し訳無さでいっぱいです。そして、今回の気付きも得られ、感謝しかありません)
来週また全校練習があり、リベンジを果たすとき。
でも、もし同じような場面が起きたら、僕はどんな指導をするのか?
自分で自分が楽しみです!笑
↓向山洋一先生の著書も参考になります↓