はじめての哲学的思考〜苫野一徳〜 語録集

「はじめての哲学的思考〜苫野一徳〜」

最初は京都、二回目は東京で講演を聴きました。

ノッてくると止まらない苫野先生(笑)

新鋭の哲学者です。

グイグイ惹きつける話をしてくれます。

今回は、

ちくまプリマー新書「はじめての哲学的思考」

について、いいなぁと思った語録を紹介します。

苫野先生の著書はいくつか読んだことありますが、これも素晴らしい著書なので、ぜひ読んでみてください!

 

苫野語録25(すべて、ちくまプリマー新書「はじめての哲学的思考」)

①哲学とは何かという問いにひとことで答えるなら、それは様々な物事の「本質」をとらえる営みだということができる。(p17)

②お互いがお互いに、相手が「対等」に「自由」な存在であることを認め合うこと。そのようなルールによって、社会を作っていくこと、これを「自由の相互承認」の原理という。(p22)

③先人の優れた思想を受け継ぎながらも、足りないところは徹底的に批判する。そして思考をもっと先へと展開していく。それが哲学の精神なのだ。p36

④ソクラテスはこんなことを考えた。哲学が真に考えるべき問題、それは自然哲学が問うているような「自然」や「世界」についてじゃない。むしろ、この世界を問うている私たち「人間」自身である!p39

⑤科学が明らかにするのは、いわば「事実の世界」のメカニズムだ。それに対して、哲学が探求すべきテーマは、「真」「善」「美」をはじめとする、人間的な「意味の世界」の本質だ。p41

⑥僕たちは、僕たちの「意味の世界」に照らし出されたかぎりにおいてしか、「事実の世界」を知ることはできないのだ。p45〜46

⑦自分の経験を過度に「一般化」して、まるでそれが絶対に正しいことであるかのように主張したとしたら、それは大きな問題だ。こうした思考を、僕は「一般化のワナ」と呼んでいる。p58

⑧対話や議論において重要なのは、こうした「一般化のワナ」に陥ることなく、お互いの経験や考えを交換しあって、どこまでなら納得しあうことができるのか、その「共通了解」を見出そうとすることだ。p58

⑨自分の信念を、ただ相手にぶつけるのではない。もしかしたらこれが独りよがりな考えかもしれないということを自覚した上で、相手に投げかける。そうやって、自分の考えの「共通了解可能性」を問う。p62

⑩「問い方のマジック」、それはいわゆる二項対立的な問いのことだ。p63

⑪僕たちは、「あちらとこちら、どちらが正しいか?」と問われると、思わずどっちかが正しいんじゃないかと思ってしまう傾向があるのだ。p64

⑫「問い方のマジック」は、まるでどちらかが(絶対に)正しい答えであるかのように人を欺く。そして、僕たちの思考を誤った方向へと向かわせてしまうのだ。p64

⑬相手をいい負かすための、一見無敵の議論術。それは哲学用語で「帰謬法(きびゆうほう)」と呼ばれている。p73

⑭肯定側と否定側、どちらが説得力があったのかを競うのではなく、議論の末に、お互いに納得できる「第3のアイデア」を見出し合う議論へと。そうした議論を、僕は「超ディベート」と呼んでいる。p79

⑮僕たちには、どれだけ疑っても疑えないものがある。それは、今僕たちに何かが「見えちゃってる」「聞こえちゃってる」という、ちょっと難しい言葉を使えば「意識作用」だ。p88

⑯そんな否定合戦ばかり続けていれば、お互いを理解し合おうとする意志や、対話することの希望を、いつかは失ってしまうことになるだろう。議論することの虚しさを、ただ感じてしまうだけだろう。p90

⑰哲学の最大の意義は「思考の始発点」を敷くことにある。誰もが納得できるその始発点さえ定めることができれば、その土台の上に、僕たちはより実践的な、力強い思考を積み上げていくことができるからだ。p93

⑱僕らは世界を、僕たちの「欲望」や「関心」に応じて認識している。p97

⑲「意味の世界」というのは、言葉を変えれば欲望の世界のことだといっていい。p98

⑳重要なのは、どちらの信念が絶対に正しいかと考えるのをまずやめることだ。そしてお互いの信念が、いったいどのような欲望や関心から編み上げられたのか、互いに吟味することだ。p104

㉑欲望を知ることで、自分と折り合う。p113

㉒欲望は変わる。これは僕たち人間の希望なのだ。p115

㉓「自由の相互承認」における1番大事なルール、それは「人を殺さない」ということだ。命がなくなったら、自由も何もあったものじゃない。p129

㉔小中学校の道徳の授業なんかでも、「いじめは絶対にダメ」なんて教えるのも悪くはないかもしれないけれど、むしろ、「人はどのような条件が整った時にいじめをしてしまうんだろう?」「どのような条件を整えればいじめをなくすことができるんだろう?」と考え合ったほうが、子どもたちの思考はより広がり鍛えられていくんじゃないかと思う。p144

㉕哲学は答えのない問題をただぐるぐると考えるものじゃない。優れた哲学者たちは、どんな問題についても、何らかの「共通了解」を見出すべく思考を鍛え抜いてきたのだ。p149

 


はじめての哲学的思考 (ちくまプリマー新書)

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